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市の生い立ち 現在のつくば市域(以下「つくば」)に人が現れたのは、今のところ、手子生の大境遺跡などで 出土した石器から約2万年前頃の旧石器時代と思われます。
縄文時代(紀元前10000年〜紀元前300年頃)になると「つくば」の遺跡数は増し、 発掘された下広岡遺跡や北条の中台遺跡では、多くの竪穴住居跡や土器、石器が見つかっています。
両時代とも人々は採集、狩猟を生業としていたようですが、定住的な生活、土器や弓矢の使用が 始まったのは縄文時代になってからです。

弥生時代 弥生時代(紀元前3世紀〜3世紀頃)
遺跡はあまり多く見つかっていませんが、この頃水稲農耕が始まったと思われます。 古墳時代(4世紀〜7世紀頃)には、多くの集落遺跡に加え、古墳が築かれました。 市内にも数百基の古墳が知られており、なかでも沼田の八幡塚古墳のような 大きな前方後円墳は権威ある首長の墓といわれています。
また、日本各地に造られた特徴的な前方後円墳の中でも、最大級のものが畿内に 集中していることは、ヤマト王権を中心とする政治的な社会が成立したことを示しています。 鉄器の普及もこの頃のことでした。

奈良時代(710〜794)
律令による中央集権国家の体裁が整いました。地方には国・郡・里(郷)に行政区画され、 役所が置かれました。現在の茨城県の大半は常陸国に、「つくば」は筑波郡、河内郡にあたり、 平沢の平沢官衛遺跡、金田の西坪遺跡はそれぞれの郡役所と考えられています。
仏教も広まり、郡役所の近くには寺も建てられました。 正倉院に残る栗原郷から献上されたあしぎぬや麻、 万葉集に収められた歌も、当時の「つくば」を伝えています。

中世